1日は24時間シンキング

どうも、時間の使い方が上手くないオブザイヤー2018受賞のkotako25です。上手にならねば。

 

と言うわけで、この前友人とドライブに出かけた時に、「1日1時間減る代わりに毎日1万円貰えるんだったらどうする?」という、ネタ切れの時にありがちな、もしも理論を展開した時の話になります。

 

この場にいたのは2人だったのですが、見事に分かれましたね。僕はYes、友人はNoでした。

 

友人曰く、「ただでさえ時間が足らないのだから、いくらお金が貰えるからって無理だ」と。

僕は「時間があまりがちだから、まあええやろ」と。

 

その友人は、ゲームを趣味に持っているため、どうしても時間が欲しいのだと。対する僕は暇になったらYouTubeを見る生活をしていると。

 

つまりここなんだな、と。趣味を持てば持つほど時間が足らなくなり、24時間以上欲しくなってくるのでしょう。

 

逆に、彼にこういう質問もしました。「1日が1時間増える代わりに毎日1万円払うのなら、どう?」と。

 

彼は「そこまでしてなら時間はいらない」と。僕もそう思います。

 

平等に時間が流れているからこそ、時間の使い方を上手くしていきたい。しっかりと時間を使えれば、また何か新しいことにチャレンジ出来るかもしれない。そう考えるわけなのです。

 

そう考えたら、学生時代は今より時間の使い方が上手だったのかもしれません。決まった時間に起き、学校へ行き、帰って暗くなるまで遊び、色々と済ませて夜には寝る…

 

時代や自身の変化の中で、この生活をこなして行くのは難しくなります。以前も書いたかもしれませんが、「今、これから」を豊かに生きていくヒントは、昔の生き方に隠されているのかもしれないなと、最近思うようになったkotako25なのでした。

 

では。